「消える」と「残る」が並行して起きている

「消える」と「残る」が並行して起きている
星野廉
2022年8月1日 07:53


 私は言葉を広く取っています。話し言葉(音声)と書き言葉(文字)だけでなく、表情や身振りといった視覚言語も言葉だと思っています。話し言葉と表情と身振りは発せられると同時に消えていきます。文字だけが残ります。消さない限りしつこく居続けるのです。
(拙文「どこかに残るって、どこに?」より)


 話し言葉と表情と身振りは発せられると同時に消えていくといっても、話し言葉と表情と身振りは伝わっています。「消える」のではなく「残る」というよりも、「消える」と「残る」は同時にそして並行に起きている気がします。



 私の趣味は言葉の観察なのですけど、言葉、そして言葉の使われ方を観察していると、ある見え方がして、同時に別の見え方をしている自分に気づくことが頻繁にあります。自分の中にプリズムがあるとか、自分がプリズムである感じです。


 そうなると前言撤回というか、言いなおすというか、言葉に言葉を重ねるしかないのですが、その重なりようは当然のことながらしばしば矛盾を呈して、文章の破綻を招きます。お気付きのように、私は論理的思考が苦手なのです。


 簡単に言うと、「Aだから、Bだから、Cだから、Dだから……」という論理っぽいつながりではなく、また「Aして、次にBして、それでもってCして、それからDして……」という物語っぽい流れでもなく、「Aといえば、Bといえば、Cといえば、Dといえば……」という連想っぽい運ばれ方に惹かれます。


 そんなわけで、私の書く文章は、脱線と矛盾と破綻と重複だらけになります。申し訳ありません。



 話をもどします。


 なぜ話し言葉と表情と身振りが「消える」と同時に、そして並行して「残る」のかというと、話し言葉も表情も身振りも反復されているからです。詳しくいうと、模倣され、模倣のたびに改変やノイズが生じ(遺伝と同じです、変奏されるとも言えます)、その結果として「同じ」とか「同一」ではなく、「かろうじて」とか「ほぼ」という感じで「伝わっていく」のです。


 このような形で、話し言葉と表情と身振りは、空間的に伝わって広まるし、時間をこえて継承されていきます。たしかに発せられたその場で一瞬のうちに消えるのですが、それでいて残っているのです。残っているからこそ、受け手がいる限りは伝わります。


 ただし、かろうじて、ほぼ伝わるのです。「同一」の形で、とは言えないところが、書き言葉つまり文字との違いだと思われます。


 文字は複製として、同一の形で伝わります。文字は複製で存在し続けているのです。正確に言うと、複製の複製(さらに正確に言えば複製のまた複製……)でしょう。あっさりとこう書きましたが、その意味は私には分かりません。正直言って、どう受けとめていいのか、さっぱり分からないのです。


 文字は複製として存在し続ける、複製の複製、複製のまた複製――。言葉ではそうなりますが、いったいどういうことなのか体感できないのです。


 話し言葉と表情と身振りが、「そっくり」である複製とは異なり、「ほぼ似た」形で(いま頭にあるのは個人差や癖や訛りや方言です)、人びとのあいだで繰りかえされていく、つまり変奏されながら反復していく――。これも不思議でなりません。



 話し言葉(音声)と、視覚言語である表情と身振りが、「消える」のではなく「残る」というよりも、「消える」と「残る」は同時にそして並行に起きている――。これは消えていくものが片っ端から記憶されるから残ると考えられます。


「消える」と「残る」が同時に並行して起きている。反対語なんて言葉の綾。ある事象の一面だけを取りあげた片手落ち。そんな気がします。事実誤認とまでは言いませんけど。


 冗談はさておき、消えたというかどんどん消えていく話し言葉と表情と身振りは、記憶、つまり人の思い(大ざっぱに言うと脳でしょうか)の中にいったん収まり、少し形を変えて出てくるからだと想像しています。


 誰もが生まれたときに、すでにあるもの。つねに人の外にあって、それでいてときに人の中に入ったり出たりして、思いどおりにならないという意味で、人にとって「外」であるもの――。言葉のことです。


 言葉は外にあるときだけ、他人と共有されます。話し言葉や表情や身振りは模倣され、ときには変奏されながら反復し、書き言葉つまり文字は複製されます。


 外にあることで、言葉は知覚機能を用いて、見たり、聞いたり、感じたりする対象になるという意味です。中にあるものは他人といっしょに知覚できません。いっしょに頭の中を覗くことはできないという意味です。


 ここで驚くべき文字の特性に注目しましょう。話し言葉、書き言葉(文字)、表情、身振りのうち、文字だけが「そっくりな」(同一と言ってもいいでしょう)形の複製として外にあるという点です。


 音声なら舌や唇や声帯や鼻や肺活量に個人差があり、表情なら感情や皮膚の筋肉の働きや顔のパーツに個人差があり、身振りなら身体に個人差があるから、同じとか同一の複製(模倣)や表出はありえないのです。それぞれの人が同じではなく似ているからです。各人に癖や訛り、ひいては方言があるという意味です。手話にも方言があると言います。



 文字は同一の状態で伝わるとか、文字は複製で存在してなんぼみたいに言ったけど、文字にだって個人差があるじゃない、なんて自分でツッコみそうになりましたが、疲れてきたので、またいつかにします。


 このように自分というのは、ままならないし、面倒くさいものですね。自分もまた「外」だと感じる瞬間です。現実も、言葉も、自分もままならない。現界も、言界も、幻界も、ままならないんですから、限界です。私個人の限界だけでなく、人間の限界かもしれません。



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